タイBLはいま、大きな転換点に立っている。
世界各国にファンを持ち、俳優たちはアジア各地でファンミーティングを開催し、国際的なブランドのイベントにも登場する。かつて一部のファンを中心に楽しまれていたタイBLは、いまやタイを代表するエンターテインメントのひとつになった。
その成長は、間違いなく喜ばしいものだ。
しかし市場が大きくなるにつれて、これまで見えにくかった問題も表面に現れ始めている。
そのひとつが、ファンダム*¹の過熱だ。
「好き」が、いつの間にか「所有」に変わる
作品を好きになる。演じている俳優を好きになる。
そして、作品の中で生まれた二人の関係性を好きになる。
そこまでは、エンターテインメントを楽しむうえでごく自然なことだ。
タイBLにはさらに「CP(カップル)」という独特の文化がある。同じ二人が作品だけでなく、ファンミーティング、広告、イベント、SNS、インタビューなどにも一緒に登場し、作品が終了したあとも二人の関係性そのものを楽しめる。
これはタイBLを世界的に成長させた大きな魅力のひとつでもある。
しかし、その距離が近いからこそ、時として境界線が曖昧になる。
「この二人にはずっと一緒にいてほしい」
そんな願いが、
「別の人と親しくしてほしくない」
に変わり、さらに、
「この二人はこうあるべきだ」
へ変わってしまうことがある。
そして最終的には、俳優の交友関係や恋愛、仕事の選択にまでファンが口を出す。
それはもう「応援」と呼べるものなのだろうか。
俳優は、私たちが好きになったキャラクターではない。
CPもまた、ファンが所有している関係ではない。
画面の向こう側には、それぞれの人生を持った人間がいる。
当たり前のことのはずなのに、熱狂の中ではその当たり前が忘れられてしまう。
SNSがファンダムを変えた
そして現在、この問題をさらに複雑にしているのがSNSだ。
一つの投稿。数秒の動画。切り取られた写真。
翻訳された発言。真偽が確認されていない噂。
それらが、わずかな時間で国境を越えて拡散される。
タイで起きた出来事が数時間後には日本語、英語、中国語などに翻訳され、世界中のファンが議論している。
これはタイBLが世界的なコンテンツになった証拠でもある。
一方で、情報が伝わる速度に、事実確認が追いつかないこともある。
一部分だけを切り取った映像から人物の意図を推測する。
翻訳された短い文章だけを読んで誰かを批判する。
本人の説明が出る前に一方的に「加害者」と「被害者」を決める。
そして一度拡散された情報は、たとえ後から間違いだと判明しても完全には消えない。
さらに厄介なのは、ファンダム同士の対立だ。
自分の好きな俳優を守りたい。
その感情自体は理解できる。
しかし「推しを守ること」が「誰かを攻撃すること」に置き換わってしまえば、それは応援ではなくなる。
「一部のファン」で終わらせていいのか
もちろん、タイBLを楽しんでいる大多数のファンが問題行動をしているわけではない。
作品を楽しみ、俳優を尊重し、適切な距離を保ちながら応援しているファンが圧倒的多数だろう。
だから「タイBLファンは民度が低い」と一括りにすることも正しくない。
しかし同時に、
「問題を起こしているのは一部のファンだから」
という言葉だけで終わらせることにも疑問が残る。
ファンダムが巨大になれば、その「一部」の人数も大きくなる。
そしてSNSでは、過激な言葉ほど広がりやすい。
結果として、ごく一部の行動が俳優本人を傷つけ、作品やファンダム全体のイメージにまで影響を与えることがある。
だからこそ、これはもう「一部の人だけの問題」として無視できる段階ではない。
業界側にも問われていること
そして、この問題をファンだけの責任にすることもできない。
タイBL業界は長い間、CP文化を大きな魅力として発展してきた。
作品終了後も二人でイベントに出演する。
二人の関係性を感じさせるコンテンツを提供する。
CP単位で広告やファンミーティングを展開する。
そうした文化によって、多くのファンがタイBLを好きになった。
だからCP文化そのものを否定する必要はない。
むしろ、それはタイBLが生み出した非常に特徴的で魅力的なエンターテインメント文化だ。
ただし、その文化が巨大なビジネスになった以上、事務所や制作会社にも新しい責任が生まれている。
どこまでが作品なのか。どこからが俳優本人の人生なのか。
ファンとの距離をどう保つのか。
誹謗中傷やプライバシー侵害から俳優をどう守るのか。
問題が起きたとき、どのように説明するのか。
これまで曖昧でも成立していた境界線を、改めて考える時期に来ているのではないだろうか。
タイBLは「崩壊」しているのか
最近の出来事を追っていると、「タイBL業界は崩壊し始めているのではないか」と感じる人もいるかもしれない。
しかし、私は少し違う見方をしている。
これは「崩壊」ではなく、急成長した産業が迎えている転換点なのではないか。
小さなコミュニティだった時代には成立していた文化が、世界規模になったことで成立しなくなる。
俳優とファンの距離が近いことが魅力だった文化に、適切な境界線が必要になる。
SNSによって世界中のファンがつながったからこそ、情報との向き合い方が問われる。
そして「CPが好き」という気持ちと「俳優本人を尊重する」ということを両立させる必要が出てくる。
これはタイBLが衰退したから起きている問題ではない。
むしろ、あまりにも急速に大きくなったからこそ起きている問題なのかもしれない。
「推す」ということ
好きな俳優には幸せでいてほしい。好きなCPには長く活動してほしい。
好きな作品には続いてほしい。
ファンなら、そう願うのは自然なことだ。
けれど、本当にその人を応援するということは、自分が望んだ人生を歩んでもらうことではない。
その人自身が選んだ人生を尊重することではないだろうか。
CPが変わることもある。俳優が別の道へ進むこともある。
恋愛することもある。芸能界を離れることだってある。
私たちが寂しいと感じることと、その選択を否定することは別の話だ。
ファンだからこそ、越えてはいけない線がある。
好きだからこそ、近づきすぎない優しさもある。
これからのタイBLのために
タイBLは、この数年間で驚くほど大きくなった。
作品の数も増えた。俳優も増えた。海外のファンも増えた。
そしてタイBLをきっかけに、タイという国そのものに興味を持った人も世界中にいる。
だからこそ、いま起きている問題を「また炎上している」で終わらせてほしくない。
ファンだけでもない。俳優だけでもない。事務所だけでもない。メディアだけでもない。
タイBLという文化に関わるすべての人が、次の段階へ進むために考える時期に来ている。
作品を愛すること。俳優を応援すること。CPを楽しむこと。
そして、その向こうにいる一人の人間を尊重すること。
これらは決して矛盾しない。
タイBLがこれからも世界中の人を楽しませる文化であり続けるために必要なのは、熱量を失うことではない。
その熱量の向け方を、少しだけ考えることなのかもしれない。
「好き」は、人を傷つけるための免罪符ではない。
そして「ファン」という言葉は、誰かの人生を所有する権利を意味しない。
好きだからこそ、守るべき距離がある。
タイBLが次の時代へ進めるかどうか。
いま問われているのは、業界だけではなく、私たちファンの側なのかもしれない。
*¹ ファンダム…熱心なファンたちによる集団や、そのコミュニティによって形成された文化のこと
英語のFan(ファン)と、王国や領域を意味する接尾詞「-dom」を組み合わせた造語。
BLasso編集部より
タイBLを取り巻く環境は、ここ数年で大きく変化しました。作品数や俳優の増加だけでなく、SNSを通じて国境を越えた巨大なファンダムが形成され、かつてないほど多くの人がタイBLを楽しむ時代になっています。
その一方で、ファンダムの規模と影響力が大きくなったからこそ、誹謗中傷、過度な詮索、ファンダム同士の対立、俳優の私生活への介入など、これまで存在していた問題もより深刻な形で表面化しています。
私は、これを単純に「ファンの民度」という言葉だけで片付けるべきではないと考えています。
CP文化を中心とした独自のプロモーション、俳優とファンの近い距離、SNSの拡散構造、事務所によるタレント保護、そして私たちメディアによる情報の伝え方。そのすべてが相互に影響しながら、現在のタイBLファンダムを形作っています。
同時に忘れてはならないのは、問題行動を起こす一部のファンが、ファンダム全体を代表しているわけではないということです。国や言語を越えて作品を楽しみ、俳優を尊重しながら応援している人たちが大勢います。
だからこそ、いま起きている問題を誰か一人の責任にして終わらせるのではなく、タイBLという文化が急速に成長したことで生じた課題として考える必要があります。
BLassoはタイBLを愛するメディアだからこそ、良いニュースだけを伝えるのではなく、この文化が抱える課題についても向き合っていきたいと考えています。
誰かを好きになることも、応援することも、本来はとても温かいものです。
その「好き」が誰かを傷つけるものにならないために。
俳優、制作会社、事務所、ファン、そして情報を届けるメディア。それぞれが一度立ち止まり、自分たちの距離と責任を考えることが、タイBLという文化を次の時代へつなげていくのではないでしょうか。
BLasso編集部 文責:管理人レン
