「推し同士に付き合ってほしい」はどこまで許される? BL俳優とファンの“距離感”を考える

BL作品を好きになれば、演じている俳優同士の関係にも惹かれる。
インタビューで見せる笑顔。
イベントで交わされる視線。
SNSに投稿されるツーショット。

作品を離れたところでも仲の良い姿を見ると、
「本当に付き合っていたら素敵だな」
と思うこともあるだろう。

それ自体は、決しておかしなことではない。

しかし、その“願い”がいつの間にか、

「本人たちもそうでなければならない」

に変わってしまったらどうだろう。

BL作品を楽しむ私たちにとって、一度考えてみたいテーマだ。


「付き合っていてほしい」と思うこと自体は悪くない

BLドラマでは、俳優同士のケミストリーが作品の魅力を大きく左右する。

本当に恋をしているように見える演技。

撮影終了後も続く仲の良さ。

ファンミーティングやイベントで見せる親密なやり取り。

そうした姿を何度も見れば、

「この2人、本当に付き合っているのでは?」

と想像したくなるのも自然だ。

ファン同士で、

「本当にカップルだったらいいね」

と楽しむことも、ひとつのファンダム文化だろう。

問題になるのは、想像と現実の境界がなくなったときだ。


俳優本人と「作品のカップル」は別の存在

ドラマの中には、恋人同士がいる。

しかし、その役を演じている俳優たちは、それぞれ別の人生を生きている。

当たり前のことだが、BL作品に深く入り込むほど、この境界は見えにくくなることがある。

たとえば作品内で、
「ずっと一緒にいる」と約束した2人がいたとしても、それはまず物語の中の約束だ。

俳優同士が非常に仲良く、互いを大切に思っていたとしても、

深い友情=恋愛とは限らない。

むしろ恋人ではなくても、何年にもわたって支え合える関係は存在する。

人と人との関係には、「恋人」という一つの名前だけでは説明できないものもある。


ファンサービスという特殊な文化

タイBLをはじめとするアジアのBL業界では、作品終了後もペアで活動する文化がある。

雑誌撮影。ブランドイベント。ファンミーティング。ライブ配信。SNS。

そこで俳優たちは、作品の世界観を思い出させるようなやり取りを見せることもある。

それはファンにとって楽しい時間であり、BL業界を支えてきた文化の一つでもある。

ただし、

ファンサービスは、私生活についての契約ではない。

ステージ上で手をつなぐことも、「愛してる」と言うことも、

お互いを特別な存在だと語ることも、必ずしも交際を意味しない。

逆に言えば、本当に交際している可能性を完全に否定する必要もない。

重要なのは

分からないものを、分からないままにしておくことなのかもしれない。


「絶対なんてないから」は希望なのか

俳優本人が、「恋人ではありません」

「恋愛関係になる予定はありません」

と説明したとする。

それでも、

「人生何があるか分からない」

「絶対なんてない」

「いつか付き合うかもしれない」

と思う人もいるだろう。

確かに未来のことは誰にも分からない。

しかし、ここには一つ大切な問題がある。

本人が示した意思を、ファンの期待によって上書きしていないだろうか。

「今は違うけれど、いつかは」

という期待を持つことと、本人の言葉を受け入れないことは、少し違う。

俳優本人が自分たちの関係について言葉にしたのなら、

まずはその言葉を尊重する。

それが、本人を一人の人間として見るということではないだろうか。


推しに恋人ができたら「裏切り」なのか

BL俳優の恋愛報道が出ると、ときどき、

「ショック」

「もう応援できない」

「騙された」

という声が出る。

もちろん、ショックを受ける感情そのものを責めることはできない。

長く応援していれば、心が追いつかないこともある。

しかし、

俳優が恋愛することは、ファンへの裏切りなのだろうか。

俳優も一人の人間だ。友達と食事をする。恋をする。誰かと付き合う。

別れる。結婚するかもしれない。

あるいは、生涯独身を選ぶかもしれない。

それは本来、本人の人生に属するものだ。

ファンがチケットを買ったことも、アルバムを買ったことも、

イベントに参加したことも、本人の人生を決める権利にはならない。


「推しを愛する」と「推しを所有する」は違う

ファン文化について考えるうえで、とても難しい境界がある。

それが、愛情と所有欲の境界だ。

「幸せになってほしい」

と思っていたはずなのにいつの間にか、

「自分が望む形で幸せになってほしい」に変わることがある。

さらに進むと、

「この人と付き合ってほしい」

「異性とは付き合わないでほしい」

「このペアを壊さないでほしい」

となる。

そこで一度考えたい。

その願いは、推し本人の幸せを願っているのか。

それとも、自分が見たい物語を守ろうとしているのか。

似ているようで、この二つはかなり違う。


BLドラマは「本当に付き合っている」から面白いわけではない

そして、もう一つ忘れたくないことがある。

BLドラマの魅力は、

俳優本人たちが現実でも恋人であることではない。

俳優が演技をして、監督が世界を作り、

脚本家が物語を書き、撮影・照明・音楽・編集など多くのスタッフが一つの作品を作る。

その結果として、私たちは画面の中の恋に心を動かされる。

俳優本人たちが恋人ではないからといって、

あのシーンで感じたときめきまで嘘になるわけではない。

泣いたことも、笑ったことも、
胸が苦しくなったことも、全部本物だ。


「恋人じゃない」から失われるものはない

むしろ、

「この2人が本当に付き合っているのか?」

という問いから少し離れてみると、見えてくるものもある。

長年一緒に仕事をしてきた信頼。

苦しい時期を支え合った友情。

言葉にしなくても理解し合える関係。

互いの人生を応援する気持ち。

それらは恋愛でなくても成立する。

そして、恋愛ではないから価値が低いわけでもない。

人間関係には、恋人よりも長く続く友情だってある。


推しを一人の人間として好きでいる

BL作品は、現実では味わえないほど美しい恋を見せてくれることがある。

だからこそ、作品の外でもその続きを願いたくなる。

それはきっと、作品を愛した証でもある。

ただ、物語の続きを決めるのはファンではない。

俳優たちには、それぞれの人生がある。

誰を好きになるのか。

誰と一緒に生きるのか。

どんな関係を築くのか。

それは本人たちが決めることだ。

「この2人が付き合っていてほしい」

という願いを持ちながら、

同時に、「違っていても大丈夫」と思えること。

もしかすると、それが一番長く推しを愛せる方法なのかもしれない。


BLasso編集部より

BL作品のカップルを愛することと、俳優本人を尊重することは両立できます。

作品では思いきり夢を見る。
現実では本人の言葉と人生を尊重する。

その二つを分けられるファンダムであれば、俳優にとってもファンにとっても、もっと居心地のいい場所になっていくのではないでしょうか。